本堂知彦先生(北海道教育大学名誉教授)のお力を借りて翻訳させていただいた、ベンジャミン・ブリテンの2つの小品に纏わる2編の詩について、第2弾です。 ※ 第1弾は→「ブリテンとシェリーの月」
第2 曲Going Down Hill On A Bicycle: A Boy’s Songのインスピレーションとなった、ヘンリー・チャールズ・ビーチング(1859-1919)の詩を、本堂先生の解説とともにご紹介させていただきます。
Going Down Hill On A Bicycle : A Boy’s Song/Henry Charles Beeching
With lifted feet, hands still,
I am poised, and down the hill
Dart, with heedful mind;
The air goes by in a wind.
Swifter and yet more swift,
Till the heart with a mighty lift
Makes the lungs laugh, the throat cry: –
‟O bird, see; see, bird, I fly.
‟Is this, is this your joy?
O bird, then I, though a boy,
For a golden moment share
Your feathery life in air!”
Say, heart, is there aught like this
In a world that is full of bliss?
‘Tis more than skating, bound
Steel-shod to the level ground.
Speed slackens now, I float
Awhile in my airy boat;
Till, when the wheels scarce crawl,
My feet to the treadles fall.
Alas, that the longest hill
Must end in a vale; but still,
Who climbs with toil, wheresoe’er,
Shall find wings waiting there.
【対訳】 自転車で丘下り:少年の歌/ヘンリー・チャールズ・ビーチング
両足を上げ、両手は動かさず、
バランスをとって、丘下り
突進だ、でも慎重に;
大気が風となり傍らを吹き過ぎてゆく。
もっと速く、さらに速く、
心が激しく高揚し
肺が笑い、喉が叫ぶまで:-
「ああ鳥よ、ごらん;ごらん、鳥よ、僕は飛んでいるのだ。」
「これが、これが君の喜びなのか?
ああ、鳥よ、それなら僕も、少年だが、
輝かしいひとときの間、
羽のある自由な暮らしを君と共にしよう!」
教えてくれ、心よ、この世にこれほど
幸福に満ちたものがあるか?
鋼の靴で平らな地面を滑るだけの
スケートよりも凄いのだ。
さあスピードが緩み、僕はしばし
大気の水面に浮かぶ舟に乗る;
車輪の動きが鈍り、
僕の両足がペダルに納まる時まで。
悲しいかな、どんなに長い下り坂も
麓に降りればおしまいだ;だがしかし、
労を惜しまず登る者は、どこであれ、
そこで翼が待っているのを見つけることができるのだ。
【解説】
岩渕: 19世紀初頭のヨーロッパでは玩具の木馬に車輪をつけて地面を蹴って走る遊びが流行り、世界最古の自転車といわれるDraisine(ドライジーネ)が様々な改良を経て広まり、ペダル式自転車が開発され、そして空気入りタイヤが出来たのが1888年だそうですから、まさにビーチングの子ども時代には自転車はとても斬新でワクワクする乗り物だったようですね。でも、「両足を上げて、準備万端」とはどういう走り方でしょうか。
本堂: まずここで描かれているのは、主人公の少年(僕)が、(おそらくは両脚を開いて) ペダルを踏まずに、丘を下る勢いにまかせて自転車を飛ばしている状況です。ですからpoised は自転車を漕がずにバランスをとっている様を表す動詞であると思われます。だから「準備万端」ではなく「バランスをとって」となるでしょう。
岩渕: 既にスピードを出して下っているのですね。
本堂: それからThe air goes by in a wind. の中の前置詞inは、「~の中」ではなく、in the shape ofつまり「~になって」です。ですから「大気は風となって僕の傍らを吹き過ぎてゆく」となります。冠詞がtheではなくaであることもそれを裏付けています。
岩渕: In the windではなくin a windだということがポイントなのですね。
本堂: 第2連のMakes the lungs laugh, the throat cry: の中のcryは、「泣く」ではなく「叫ぶ」でしょう。たしかにlaughとcryの対比ということも考えたくはなりますが、ここで声が「泣く」必要はありません。続く ‟O bird, see; see, bird, I fly. という言葉こそが、その「叫び」なのです。「肺を笑わせる」というのは、激しい風圧を正面から受けたときの、呼吸も自由にならないようなあの独特な感覚を表しているのでしょう。
岩渕: 私は多分そこまでスピードを出したことはないと思います。とにかく凄いスピードで猛進しているのですね。スケートが出てくる第4連ですが、留学時代のイギリス人の友人に聞いてみたところ、スケートよりも速い、もしくはスケートよりも凄いということだろうと言われました。
本堂: ‘Tis more than skating, bound Steel-shod to the level ground. におけるbound Steel-shod to the level groundは、skatingを修飾する形容詞句です。「足のうらに鋼鉄を付けて平らな地面にへばりついて走らなければならないスケート以上のものだ。(これはスケートよりもすごいよ。スケートなんて鉄の靴を履いて平らな地面を上を滑るだけだから。)」となります。
岩渕: そして、ローラースケートよりもアイススケートのイメージだと。
本堂: もちろんローラースケートなんかじゃありません! Steel-shodはiron-shodと同じで、馬 の蹄鉄を想起させる言葉です。だから、これは決してローラーのことではなく、スケートのブレードのことを指しています。なぜスケートかというと、自転車に劣らず速く疾走できる手段として、自転車と比較しているからです。「速さにおいては劣らないスケートも、空を飛ぶ感覚を与えてはくれない」という内容を表しています。ですから、スケートより速いかどうかではなくて、地面に縛られるスケートとは違って、地面の束縛から解放されて空へ舞い上がる感覚が得られるのが自転車の一番の魅力だと言いたいのだと思います。
岩渕: なるほど。歴史的にもスケートのほうが断然古く、中世には娯楽として広がっていたようですね。そこに自由にどこまでも走れる自転車が出現したというわけですね!
続く第5連は、スピードが緩むと小舟のように軽やかに浮かぶような感覚になるということでしょうか。
本堂: airy boatは、「軽やかな舟」というよりも「大気という水面(みなも)に浮かぶ舟」と取りたいところです。
第6連のAlas, that the longest hill Must end in a valeですが、これは一般論として述べられています。The valeではなくa valeとなっていることがその証拠です。そして最上級はしばしばevenの意を含みますから、「悲しいことに、どんなに長い下り坂も、ふもとに降りてしまえばそこで終わってしまう」となります。
岩渕: いちばん下まで降りてしまえばまた登らなければならないですよね。
本堂: スキーと同じですね。ところで、最後の2行は微妙なところですね。教訓めいた内容とも考えられそうです。つまり 「苦労はの後には必ず勝利が待っている」と。この詩を書いたビーチングは聖職者でしたから、むしろそれが正しいのでしょうね。Wheresoever(どこであれ→人生のどんな場面でも)という単語が、その方向の解釈を指し示しているように見えます。しかし、そう言いつつも詩人は、本心では自転車で丘を下る純粋に感覚的な喜びのことを言っているのだと、少なくとも私は考えたいですね。聖職者でありながら(それに主人公は少年です)自転車で下り坂を疾走する快感には逆らえない、という方が人間らしくて魅力的だとは思いませんか?
ビーチングの詩にぴったりなお写真を、度重なるロックダウンにも負けず、移住先のニュージーランドで自転車を楽しむ旧友にお願いして送っていただきました。風を切って全速力で丘を下る爽快感が伝わってきますね!
(岩渕)
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