ブリテンとシェリーの月

音楽随想

ベンジャミン・ブリテンといえば「戦争レクイエム」の作曲家ですね。第一次世界大戦で戦死したウィルフレッド・オーウェンの詩を題材とした壮大な作品で、第二次世界大戦の全ての犠牲者を追悼するとともに、戦争のない平和な世界を願って作曲されました。

そのブリテンがまだ学生だった1931年に作曲したヴァイオリンとピアノのための2つの小品に纏わる2編の詩を、Studio26音楽企画の7月の演奏会「美しきイングランドと第一次世界大戦」の機会に、本堂知彦先生(北海道教育大学名誉教授)のお力を借りながら、翻訳しました。

まずは、第1曲The Moonのインスピレーションとなった、パーシー・ビッシュ・シェリー(1792-1822)の詩から、第二次世界大戦の終戦から77年が過ぎた本日、本堂先生の解説とともにご紹介させていただきたいと思います。

 

The Moon / Percy Bysshe Shelly

 

AND, like a dying lady lean and pale,

Who totters forth, wrapp’d in a gauzy veil,

Out of her chamber, led by the insane

And feeble wanderings of her fading brain,

The moon arose up in the murky east,

A white and shapeless mass.

 

Art thou pale for weariness

Of climbing heaven and gazing on the earth,

Wandering companionless

Among the stars that have a different birth,

And ever changing, like a joyless eye

That finds no object worth its constancy?

 

【対訳】 月 / パーシー・ビッシュ・シェリー

 

そして、細く青ざめた今際の際の貴婦人が、

薄衣のベールを纏い.

消えゆく意識の狂った儚い放浪に導かれ、

寝室からよろめき出るように、

月がどんよりと暗い東の空に昇った、

白く朧なる塊。

 

お前が蒼白なのは、

生まれの異なる星々の間を

孤独にさまよいながら、

そして、変わらぬ愛を注ぐ価値ある対象を見つけられず

喜びを知らぬ眼差しのように、絶え間なく姿を変えながら、

天まで這い上がり地上を見つめることへの疲れゆえか?

 

【解説】

岩渕: 第1連のin the murky eastは、夕刻の東の空の暗さを表しているのでしょうか?

本堂: これは、次の行で月をshapelessなものにする原因であると考えられます。つまり祇園小唄の「月はおぼろに東山」ではありませんが、月が昇ってきた東の空がどんよりとくすんでいることを示しています。

岩渕: だから月が形を持たないのですね。

本堂: 月がどのような形であるか見極めることができないということです。もちろんこのshapelessは月が絶えず形を変える存在であることと密接に関連しています。

岩渕: 第2連のobject worth its constancyはどのように捉えられますか?

本堂: ここでのobjectは「対象」、つまり月にとっての恋愛の対象のことです。その次に来るworth its constancyは、後ろからobjectにかかり、この行全体では「変わらぬ愛の対象を見つけられない」となるわけです。

岩渕: 「そして、変わらぬ愛の対象を見つけられず喜びを知らぬ眼差しのように、絶えず姿を変えるのか?」と月に向かって問いかけているのですね。

本堂: そうですね。さらに文法的な説明を加えるなら、wanderingとever changingは、その前のclimbingやgazingという動作を説明する分詞構文の働きをしています。つまり「さまよいながら、そして絶えず姿を変えながら、空に昇り地上を見つめる」ということになります。

岩渕: 絶えず姿を変えながらも、必ず空に昇り、地上へと光を注ぎ続けるのですね。

本堂: constancyという語は、恋愛詩では「変わらぬ愛」を示すのが通例ですが、ここでは月が絶えず形を変えてしまうことと関連づけて使われています。「月はなぜ形を変えるようになったのか」という疑問に、その理由(起源)を示しているとも考えられるわけで、その意味では物事の起源を説明する神話的な性質を帯びていると言っていいのかもしれません。

岩渕: 神話の時代から、月は人々の心を掻き立てる不思議な存在だったのですね。

本堂: 神話が出てきたついでに、月の女神アルテミスが、貞節の女神であることを思い出すと面白いですね。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』でロミオは変わらぬ愛を月に誓おうとしますが、ジュリエットは「月に誓うのはやめて。絶えず姿を変える月には。」と訴えます。月は貞節なのか、移り気なのか?興味は尽きませんね。

 

ピアノの明上山貴代さんと一緒に勉強させていただいたブリテンの「月」はとても素敵な作品なので、ぜひまたどこかでお聴きいただきたいと思います。

近日中に第2曲Going Down Hill On A Bicycle: A Boy’s Song もご紹介いたしますので、どうぞご覧くださいね。

(岩渕)

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河野泰幸

クラリネット奏者。

京都市立堀川高等学校音楽科、東京藝術大学音楽学部器楽科を経て、シュトゥットガルト音楽演劇大学大学院修了。

在独中、リューベック歌劇場、プフォルツハイム市立劇場のクラリネット奏者として研鑽を積む。第10回京都芸術祭で京都市長賞受賞。

Trio Rintonareでのコンサートが評価され青山財団より2008年度バロックザール賞受賞。札幌音楽家協議会会員。

現在、札幌大谷大学芸術学部音楽学科准教授、札幌大谷高校音楽科非常勤講師。2015年より札幌在住。

詳細、過去の演奏会はこちらをご覧ください。

岩渕晴子

ヴァイオリニスト

京都市立堀川高校音楽科を卒業後、奨学生として英国王立音楽院Royal Academy of Music(ロンドン)に留学。音楽学士号BMus、教師資格LRAM、および大学院演奏ディプロマPGDip取得。

ブリストル大聖堂(イギリス)、エネスク・バルトークホール(ルーマニア)、青山音楽記念館バロックザール(京都)等にてリサイタル開催。

室内楽演奏会「ロンドン~室内楽の散歩道」「0歳からのファミリーコンサート」等主宰。イザイの無伴奏ソナタ全6曲、ヴァイオリン小品集の2枚のCD録音。国内外のオーケストラと共演を重ね、2010年いずみホール(大阪)にてモーツァルト室内管弦楽団と、2013年ルーマニアにてハーモニアス室内管弦楽団と、2014年及び2018年オラデア音楽祭(ルーマニア)にてオラデアフィルハーモニーと協奏曲共演。

兵庫芸術文化センター管弦楽団第1期コアメンバー、ヤマハなんばセンターヴァイオリン講師、ヤマハジュニア弦楽アンサンブルおよびオーケストラジュニア講師を経て、2015年より札幌市に拠点を置く。独奏、室内楽、オーケストラ奏者として演奏活動を行い、2019年ザ・ルーテルホール共催による企画ミュージック・トゥモーロ―ではピアノの岡本孝慈氏と共にブラームスのクラリネット・ソナタ(作曲家自身の編曲によるヴァイオリン版)を取り上げた。

詳細と過去の演奏会、動画はこちらをご覧ください。

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